四の剣とマリーが対峙した公園より先へ進んで行くと、住宅がまばらになり、空き地が目立つようになる。ここにはかつて、国が所有する施設が存在していた。現在は施設の一切は存在せず、殺風景な空き地だったものを宅地として再開発している最中である。もっとも、施設の裏側にあたるこの辺りは何十年も放置されている。定期的に空き地の雑草やゴミは処理されるが、すぐに草木は生い茂り、薄暗く見通しも悪い。都会の真ん中に存在するとは思えない雰囲気を醸し出していた。
この草むらのような道を抜け角を曲がると、道幅の広いなだらかな下り坂が現れる。道の両脇には華奢で黒い鉄柵が並び、左側には西洋風の墓地と小さな礼拝堂らしき建物、もう一方には住居らしき黒い屋根の建物がある。木々が茂っていること、夜の闇と雨のせいで、細部がよくわからなかったが、佇まいから歴史的な価値のある建築物のように感じられる。
先ほど聞いたばかりの情報だが——ここは現在「教会」としての役割は果たしていない。教会が教会として機能していた頃も、墓地には死体や骨が埋まっているわけではなく、墓地の存在自体が「飾り」のようなものだった、という。
いまは個人の邸宅であり、その配下の者たちが住まう場所。そしてそれは、この国にいる外鬼の幹部のことだ。
啼は、先ほどまでこの建物の事を知らなかった。車内でマリーから聞かされた先の事情と、大雑把な位置関係だけを把握した。教えたマリーもその程度しか知らされていないのだろう。
外鬼専門のしのび達であれば、住人の詳細も敷地内の事も分かるかもしれないが、啼のように郷の周辺、人間界に紛れて暮らすけもの−主に土俗の牙−を相手にしているしのびには、知る由もない。外鬼関係の忍務についたのも数回しかなく、啼にとってそれは、替わりのきく「大した忍務」ではなかった。
外鬼について、もう少し興味を持っていても良かったかもしれない、と啼はちらと思った。今更どうしようもない事だが。
車内で道順を覚え、車を先に降り、マリーに言われた通り彼はここまで来た。追っ手がないということは、彼女が「なんとかした」のだろう。
彼女は「伯爵の願いは、妹の望みを絶つ事なのよ」、そして「あなたの為じゃないわ」と何度も言っていた。だとしても、この点は素直に感謝している。
下り坂は敷地の半分くらいで上り坂になった。礼拝堂と邸宅はこの周辺で一番高く、黒い外柵から一番遠い場所に位置している。見下ろした下り坂の先には十字路があり、それぞれに曲がった方に正面玄関があるそうだが、啼が今立っている場所には左右の敷地へ繋がる「裏門」のような出入り口があった。そして、内側にかかった鍵は誰でも簡単に外せるようなものだった。
どちらの建物にも明かりが点っている。深夜と言うほど遅い時間ではないが、「邸宅」にいる頃だろう。啼は邸宅側の柵の内側へ両手を入れ、その鍵を開けた。鉄柵の扉は想像通り、なんの問題もなく開いた。
敷地の内側に滑り込み、鍵をかける。啼は暗闇の中を歩き出した。
進む先には小さな外灯と、黒い観音開きの扉が見える。柵の内側は芝生が敷き詰められており、土の感触はなかった。背の低い庭園用の外灯は電球の光が弱く、ぼんやりしていたが周囲の事はだいたい分かる。
邸宅の周りを石畳が囲んでいて、芝生と石畳の間には幅五十センチほどの溝が作られていた。そこには砂利よりも大きめの石が敷き詰められている。所謂鳴き石と言われる防犯用のものだ。この敷き詰め方が巧妙で、石畳の模様と見誤って踏みつける者もいるだろう。普通の人間であれば「うっかり」しそうだな、と思いつつ、啼はそれを跨いだ。
白い漆喰の外壁は丁寧に仕上げられていて、皹一つ無かった。礼拝堂への近道である扉は小さいが造りは立派で、正面玄関とは別に、啼のいるこちら側も「表」にあたるのだろうと推測できた。とすると、反対側が炊事場になるだろうか。
今現在使用人や部下がどのくらいここにいるのか、はっきりしたことはわからない。郷のしのびと同様、彼らは気配を消すのがうまい。だが、大人数でないことはわかった。
啼には、今から交渉する相手が本当に信用出来る相手なのか判断できない。ザークシーズの言葉を信用しきっていいのかもわからなかった。だが、迷う時間のほうが惜しい。更に、彼にはー侵入者であるにもかかわらずーやましい思いがひとつもなかった。
慎重な割に、こうした場面では軽率なほど素早く動く。啼は躊躇せず、正面玄関へと向かっていった。
六章 執筆中、つづく